地下鉄駅から地上に上ると青い空と陽光がまぶしくわたしに降りかかった。
それが白く壮麗なフル・ヴィエールに反射してとても眩しく感じられた。
「マリコさん、ここいい。ここいいですよ。」
何ともエレガント。貴婦人という趣のノートルダムだ。
「今5時半、6時にはお店が閉まるので、先にマリア様グッズを見ましょう。」
清潔感溢れ光溢れるお店へ。
たくさんの天使さま、マリア様の像や、カード、ロザリオ、絵本、色々とある。
でも、わたしは本当に美しいものにしか目がいかないので、多少高価ではあったが、大天使ミカエルとマリア像を購入した。あとは、お土産数種。
マリア像は、「本当の金を貼っていますから、気をつけて扱ってください。」と店員さんに言われる。
その後、教会内へ。
「こうやっていると、とても波動が良いのだけれど、ミサなんか、人が集まると受けてしまう。」
パイプオルガンが素晴らしいとのこと。
「でもここの女性的な波動がとてもいい。今まで、男性セラピストに会ってきたわたしとしては、ここで女性の波動を感じ、女性による癒しも必要だと思いました。」
教会は、誰が来ていくらいても良い場所だ。
照明は暗く、涼しい空気の中、私たちは腰をかけ、話し込んだ。
マリア様を前に、「マリエルさん、聖娼って何ですか?」と訊ねられたからだ。
わたしと出会うまでそのような概念がなかったのだそうだ。
ここで聖娼についての説明。
わたしの中には、自分が巫女であるという記憶はあった。
海のある神殿に何故か男の旅人を迎えているのだ。
そして、彼が去っていって、戻ってこないのがとても悲しいのだ。
わたしは海を見て待っているのだ。そこへは、傷ついた男たちが主にやって来ていた。
わたしは彼らを癒した。そこには多くの動物がいて、わたしはそれらに守られて1人暮していた。わたしはそういう巫女だと思っていた。
作家・田口ランディがわたしは好きだが、彼女の「アンテナ」「コンセント」には子宮が焼きつくような衝撃を覚えた。これは、結論からいうと、現代の巫女の話。しかも、聖娼であろう。田口さんがそういう概念があって書いたのかはわからない。しかし、田口さん自身は巫女だろう。物を書く人間は基本的に巫女だ。
わたしは、常日頃、ひたすら人の話を聞く仕事をしている。しかし、わたしが書くことで浄化される人間も必ずいる。
教会でゆっくりして、展望台からリヨンの街を見下ろす。
「あれが、リヨンで一番高いタワー、クレヨンと呼ばれてます。あれが、オペラ座。」
「何でしょう、あそこの広場にルイ14世みたいのがあるんですが。」
「そうです、ルイ14世。その意味、どのフランス人に聞いてもわかりません。」
というようにおしえてもらう。
その日はマリーと連絡が取れず、夜はマリコさんにフランス料理を作ってもらうこととなった。